【雑記】人魚のミイラと和歌山にある3つの苅萱堂

 本日2023年2月7日のlivedoor newsに、岡山県にある円珠院という寺の人魚のミイラの分析結果が報道されていた。小動物のミイラを人魚のミイラと言っていたのではなく、紙や布などで作られたものだったらしい。要するにフィギュアだということだ。作られたのは1800年代後半ということだから、江戸末期から明治にかけてということになる。ちょっとエグイ写真が掲載されていたのだが、うまく「古び」がかけられているなあと思った。一応、リンクを残しておく。

news.livedoor.com

 人魚のミイラは、実は高野山のふもとにある西光寺という寺の敷地内の苅萱堂にもある。ここは高野山に徒歩で登る人が通る道の入り口付近にある。学文路駅という南海電鉄の駅が最寄り駅である。昔は学文路駅が終点だった時代もあるので、ここで降りて徒歩で高野山に上ったのだろう。なお、学文路駅からのこのルートは、今でも徒歩で登る人がいるらしい。

 苅萱堂の名前の元になった「苅萱」についてちょっと説明しておく。苅萱というのは、中世に成立した話をもとにして、18世紀半ばの江戸時代に浄瑠璃などの演目で有名になった話のタイトルである。「苅萱物語」とも「石堂丸物語」とも言われる。内容は、出家して高野山に入った父親を生き別れた息子が訪ねるという、親子関係の涙の物語だ。石堂丸は父親を訪ねる息子の名前である。この話がどうやら江戸時代に大流行したらしく、民間信仰にまで発展、お札や絵馬まであったとのことだ。これをネタに苅萱堂というのが作られ、高野山に上る観光客、もとい参拝客の立ち寄りスポットになっていたのではと思う。西光寺の苅萱堂の人魚のミイラは、おそらくは有料で見世物にでもしていたものだろうというのが私の予測だ。私の、と言ってもだいたいみんなそう思っているだろう。なお、人魚というのは不老長寿のシンボルである。現代にはアニメ作品の聖地巡礼というものがあるが、日本人は250年ぐらい前から同じようなことをやっていたということだ。

 この地域に苅萱堂というのは3つある。1つは上に書いた学文路駅近くの西光寺の苅萱堂。もう一つは高野山の中にある苅萱堂。こちらはかなり立派なお堂である。中には苅萱伝説を説明する絵が並べられている。もう一つは椎出というところにある(あった)苅萱堂だ。

 かつて高野山駅(現在の高野下駅)までしか南海電鉄が延伸されていなかったとき、椎出を超えて高野山に向かう椎出道と言われた山登りルートがあったというのは各種資料に見られる。椎出の苅萱堂は、その山の頂上付近にあった。「あった」と書いたのは、私が訪ねた2017年5月段階で、大雪か何かで崩壊してしまっており、香炉が空しくころがっている状態だったからである。写真を見てほしい。苅萱堂だったところの手前に石の道標が残っていることだけが手がかりだ。昔の人はここまで登って苅萱堂で一服し、高野山を目指したのだろう。なお、椎出の苅萱堂は4輪では行かないほうがいいので念のため。傾斜地であり、転回するところがほぼないので、ジムニーでも厳しいと思います。

学文路駅近くの苅萱堂

高野山の苅萱堂

椎出の苅萱堂跡(2017年5月)

椎出の苅萱堂跡入口付近にある道標